経済 / ECONOMY
「脱炭素」で次世代船舶開発 かつて世界の舞台へ駆け上がった「造船大国」、元気なかった日の丸造船業に火がついた
政界往来 公開日時:2021-02-15
日本は周りを海に囲まれた島国で、19世紀半ば、欧米列強の植民地支配の及ぶことなく、徳川将軍家が支配していた。3代将軍家光が、大船建造の禁(1635年)を発令してから、外洋を航行できる大型船の建造は禁止されていた。
米国東インド艦隊の江戸湾侵入(黒船来航=1853年)に呼応し、幕府は大船建造の禁を解き、諸藩に洋式船の建造を促した。幕府は海軍創設を企画し、長崎に海軍伝習所と長崎製鉄所(洋式舶用機械修理工場)を建設した。横須賀にも造船技術の拠点を構えることにした。
幕末、日本は貧弱な海運力、海軍力を憂い、軍艦と物資を運ぶ大きな船の建造が使命として誕生し、近代工業の萌芽(ほうが)がここに発した。その切実な願いは、やがて日本が開国をしたとき、また開国後の日本の在り方に影響を与え、明治新政府に志として引き継がれていった。
西南雄藩の1つであり、維新の原動力となった土佐
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