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社会 / SOCIETY

特攻隊員として出撃した光山文博

政界往来  公開日時:2015-09-15

 

訪日と入隊

 大東亜戦争下、「航空機による特攻」で戦没した日本軍将兵の数は4000人を超えるが、その中には20名ほどの朝鮮人も含まれていた。

 その内の一人、卓庚鉉は1920年11月5日、朝鮮半島の慶尚南道泗川市にて生まれた。後の日本名、光山文博である。

 卓庚鉉が生まれたのは、日本が政府間交渉を経た上で、国際的な承認のもとに韓国を併合してから10年目にあたる。

 卓庚鉉の誕生時、一家の暮らしは裕福な方だったとされる。しかし、祖父が事業に失敗した結果、生活は次第に困窮。そんな彼らが選んだのが、日本に「出稼ぎ」に赴き、生計を一から立て直すという道だった。卓庚鉉がまだ幼少だった頃の話である。

 訪日した彼らは、京都府に定住した。当時の京都には、1万人以上もの朝鮮半島出身者が住んでいたと言われている。併合以降、朝鮮よりも賃金条件の良い日本での仕事を求めて、多くの朝鮮… → 続きを見る


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