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社会 / SOCIETY

流 転 ― 水野健・波瀾万丈の半生 #8

公開日時:2015-01-16

 

流 転 ― 水野健・波瀾万丈の半生   #8

■誰も書かなかった水野の“素顔”

 水野にこんな“功績”があることは、まったく報じられていない。それは1989年にペンシルベニア州のフィラデルフィア小児病院に「水野ファンド」を100万ドルで設立したことだ。
 この基金のもと、多くの貧血症に効く画期的な開発に成功した。なかでも4歳までに4人に1人が発症して、激痛の末に亡くなる「鎌状赤血球貧血症」。
 これは血管内で鎌状(三日月状)に赤血球が固まり、血液を通さなくなる黒人特有の病気だが、この新薬の開発によって、現在では多くの子どもたちが、永く生きられるようになったのである。
「水野基金」のお蔭だ。この功績を称えたネバダ州知事は、水野に「平和の鐘」を贈った。
 またラスベガス・ミラージュホテルでは、フィラデルフィア小児病院の子どもたちの描いた絵が水野に贈られ、当時の世界ミドル級チャンピオン・マイケルナン、プロゴルファー・ヒューバードグリーン、俳優テリーサラバス等々、日米から多くの有名人が出席し水野の功績を称えたのである。
 この「水野ファンド」――きっかけは当時の人気ニュース番組「ニュースステーション」だった。と言っても、両者がどう結び付くのか、訝る向きが多いと思われるので、これには説明が必要だ。
 ある日の放送において、フィラデルフィア小児病院で、この病気の薬を研究している浅倉稔生教授がゲスト出演した。そこで浅倉教授は、この研究には多額な基金が必要だと訴え、寄付を呼びかけたのだった。
 久米-小宮のコンビで高視聴率を誇っていた人気番組だ。しかし1円も集まらなかったという。
 その結果に意気消沈した教授が、ふらりと水野のもとを訪れた。
 実は、水野は旅行会社の紹介で、当時「野口英世財団」に関係していた浅倉教授と親しくなっていたのである。
 そのてん末を聞いた水野は即座に「なんとかする」と回答。スティーブ・ウィンらに相談して「チャリティーゴルフ」を毎年開催することにして、またたく間に100万ドル以上を集めたのだった。
 まさに水野の「人望」と「人脈」が、いかんなく発揮したのである。繰り返しになるが、この資金によって浅倉教授は画期的な新薬の開発に成功、現在では黒人の多くの子供たちが、永く生きられるようになったのである。
 また毎年、日本の5月のゴールデンウィークには、ラスベガスの水野の自前のゴルフ場で、チャリティゴルフコンペを開催していた。出席した錚々たるメンバーのプロゴルファーは、岡本綾子、ジョニー・ミラー、ファジー・ゼラー、ペイン・スチュワート、デービス・ラブ三世、ジェフ・スルーマン、小林浩美ら20名を越す。またフォード元大統領、プロゴルフ界の重鎮アーノルド・パーマー、サンディエゴチャージャーズ(アメリカンフットボール)オーナー・ディーンスパノス、プロボクシング世界ヘビー級チャンピオン・ジョージフォアマン、時のスーパースター・シュガーレイレナードも出席。
 〈ゴルフを通して健康で快適なライフと相互間の親睦を深め、チャリティコンペ等の催しにおいて、地域に密着した福祉施設への援助と活動および次世代を担うジュニアの育成に寄与する〉ことを目的に、水野が創設した「クラブエコル」というのがある。
 “エコル”とはハワイ語で「3」の意味だという。水野経営の「オロマナ・ゴルフ・リンクス」「東京国際空港ゴルフ倶楽部」「鶴ヶ島ゴルフ倶楽部」――つまり「3」だ。
 そのうちの東京国際と鶴ヶ島で、チャリティコンペが毎年2回開催されている。そして水野は、その収益金をゴルフ場のある千葉県の多古町、埼玉県の毛呂山町に寄付し、地域の老人ホームなどの福祉施設への援助活動を続けているのである。
 この「クラブエコル」会員は800名に膨れ上がり、そのスペシャルメンバーがすごい。
 すなわち、故小野やすし/左とん平/加藤茶/里見浩太朗/前川清/萬田久子/根本りつ子/浅茅陽子/岡本綾子/近藤昭仁/東尾修/徳武定祐/中野浩一/西本聖/槙原寛巳/東尾理子等々、各界の著名人がキラ星の如く顔を連ねている。
 さらに、ラスベガスでのコンペ後のチャリティパーティが「ミラージュ」で開催されたのだが、会場には先のメンバーのほか、アメリカを代表する歌手アンディ・ウィリアムスまでが参加している。とにかく考えられない驚くほどの豪華メンバーが列席した。
 これは言うまでもなく、水野が日米で広げた人脈の1部だ。それだけを見ても、水野の人柄、素顔の一端が垣間みることができる。検察の企てによって、逮捕された水野だが、社会の評価は全く異にすることが判るはずである。
 さて、この稿「水野の半生」も終章を迎えようとしている。こうして振り返ると、文字通り「運命」「時代」に翻弄された“波乱万丈”の半生だった。その間に何度かの“レバ”“タラ”があった。しかし、その時々で水野が決断したことだ。いささかの後悔はない。
 だが、あえて「しかし」という言葉を繰り返す。数々のシーンを思い出し、やはり“イフ”という場面があったはずだ。
 こうした数奇の半生を踏まえ、最後にやり残したことなどを水野自身に聞いてみた。
「私の好きな言葉は“人生、意気に感じる”これからも変わらず死ぬまでこれで通したい」
 いずれにしても、まことに興味の尽きないものだった水野の半生。別の角度から新たな水野という人物の実像が鮮明に浮かび上がったと思われる。
 そして齢80歳を迎えた水野健。冒頭の「傘寿の会」のパーティの場面に戻るが、水野健の大河ドラマは、これで決して終章ではなく、これからも続く――。

 

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