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社会 / SOCIETY

流 転 ― 水野健・波瀾万丈の半生 #6

公開日時:2014-11-16

 

流 転 ― 水野健・波瀾万丈の半生   #6

■水野健 “波”静かだった時代

 ビジネスの世界に本格的にデビューした水野健。ゴルフビジネスに参入するのは昭和50年以降だが、前述したように47年には開発を進めている。
 それは埼玉県の桂木カントリークラブで、実はこれを開発していた小島建設が破たんしたため、水野はその引き受け先として頼まれたものだった。
 しかし土地は半分しか手当てしておらず、残りを水野が購入し造成を進め、54年に鶴ヶ島ゴルフ倶楽部としてオープンと成った。
それまでが大変だった。なにしろ、倒産した会社からの引継ぎだ。いざフタを開けてみると、会員権は乱発し、これを担保に金を借りまくっていた。まるで紙幣を刷るが如くである。
 1500人ぐらいの会員だと言われたのが、まったくウソで、実に2万枚以上も会員権が出回っていた。さらに会社の株券も担保に入っていた。
 小島建設が金を借りた中には、当然のように暴力団筋も少なくなかった。水野はたまらずに弁護士に相談して、裁判所からの保全命令をかける一方、暴力団筋との交渉に走る。水野が広く張り巡らせた人脈が物を言ったのだった。
 結局、1万人以上の会員権を買い取り、改めて6000枚の会員を新規に募集したという。
 意外と知られていないことだが、水野はその前にゴルフ場を手掛けている。それは栃木県喜連川にあった「紫塚ゴルフクラブ」だ。
 同ゴルフ場は早稲田の先輩が展開していたものだが、途中で水野に助けを求めてきた。それで仲間と50%ずつの権利を得、経営するに至ったのである。
 また水野の実家・高松市で、義理の父親が「高松カントリークラブ」を経営していて、それをサポートしていたという。
 このように、ゴルフと水野はもともと深い関わりがあったわけだが、それよりもなによりも、昭和36年頃から日米を往復していた水野である。“本場”のゴルフ場、その経営・ノウハウについては目の当たりにして熟知していた。アメリカにはパブリック、大衆的なゴルフ場が多く、水野もそうしたゴルフ場を目指した、という。
 後でアメリカにも3つのゴルフ場を経営し、さながら“ゴルフ王”となる水野だが、それまでの昭和50年、60年代といえば、本稿のタイトル“波瀾万丈”とは異にして、極めて順風満帆だった。水野の半生の中で、ある意味もっとも“静かな時代”だったのかも知れない。
 ただ、こんな“事件”ががあったことを付け加えておく。62年ごろの話である。
 佐藤茂――旧川崎財閥の不動産管理会社「川崎定徳」の社長で、60年代“最後のフィクサー”と称された人物だ。水野は所有していた4つのホテルの売却に絡み、この佐藤と親しくなったという。
 その後、佐藤は乱脈経営で巨額の不良債権を抱え、前経営陣“4人組”が逮捕された「平和相互銀行事件」の裏で暗躍する(平和相銀は当時の住友銀行に吸収される)。
 その経過の中で、平和相互銀行の株券を巡って、佐藤はある大組織に命を狙われることになる。そのとき、仲に入ったのが水野健なのである。都内有楽町の料亭で佐藤と水野、そして相手側は4人の親分だ。
 結局、水野の尽力によって、この1件は丸く収ったのだが、列席した先の4人はその後それぞれ大組織のトップである総裁に登りつめているのだから、いかにスゴイ面々だったことが分る。
 そして、ここでの佐藤から1人の親分への“おみやげ”が、新たな事件の源流となって、つながっていく。
 前記、所有していた4つのホテルを売却した後、水野はいよいよ本格的にゴルフビジネスに参入する。
 「鶴ヶ島ゴルフ倶楽部」のほか「東名小山カントリークラブ」「東京国際空港ゴルフ倶楽部」などを矢継ぎ早に開設する。その投資額が半端ではない。結局、鶴ヶ島には200億円を注ぎ込み、東名小山に65億円(すべて借地)、東京国際には150億円だ。
 さらにアメリカ進出である。パームスプリングスに「インディアンウェルス・カントリークラブ」ラスベガスには「ショーボート・カントリークラブ」と「ロイヤルケンフィールド」ハワイには「オロマナ・ゴルフリンクス」を相次いで開設する。
 そのうちの「インディアンウェルス」は、アメリカ元大統領のフォードに紹介されたボブホープの仲介で、4000万ドル(約64億円)で買い取ったもの。
 これを機にホープと親密になった水野は、アメリカのゴルフ大会においては準メジャーに位置づけられていた「ボブホープクラシック」が終わる2011年まで、大会の理事を務めていたという。
 そのほかアメリカでは、水野はホテルをはじめレストランや貸しビル事業を展開、多くのセレブが住んでいる高級住宅地「ビバリーヒルズ」に居を構えていた、という。
 水野が実業界にデビューした51年頃、水野興業の売上げは45億円だった。
 それが10年あまりで、実に5倍以上の200億円に膨れ上がっている。まさに急成長企業だ。

 

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