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社会 / SOCIETY

流 転 ― 水野健・波瀾万丈の半生 #4(前)

公開日時:2014-09-16

 

流 転 ― 水野健・波瀾万丈の半生   #4(前)

 ■東映チーフスカウト時代――鮮烈な印象が残っている水野が採った2人の選手

 近鉄パールズ(現・オリックス)に入団した水野健。1軍の投手として定着したものの“悲劇”が待っていた。
 その日は近鉄のフランチャイズ日生球場のナイター開きだった。近鉄の対戦相手は、3番榎本、4番山内と続く強力打線の大毎オリオンズだ。先発した水野は3番榎本を迎えた。榎本が放った打球が水野の右手を直撃、骨折に至る強烈な一打だった。
 文字どおり運命の1球だった。これによって水野はプロ野球の世界から去ることになる。
 実は水野と近鉄との契約は、いささか特殊で、近鉄本社の採用だった。つまり水野は、近鉄球団には本社からの出向という形になっていたのである。
 それでその後、本社に戻ったわけだが、名監督・水原茂が巨人を追われ、東映フライヤーズの監督に就任した昭和35年のことだった。郷土の大先輩である水原に誘われ、東映のチーフスカウトとして、再びプロ野球の世界へ戻ったのだった。
 水野の約5年間の東映スカウト時代、水野がスカウトしてその後活躍した有名選手は、十指以上にも及ぶ。
 ざーっと名前を挙げてみると、新人王に輝いた森安敏明、後述する安藤元博のほか名ショートの大下剛史、後に韓国プロ野球で4割を打った白仁天、いぶし銀・青野修三、投手の石川陽造などなど。
 そのなかでも水野の記憶に強烈な印象を残した選手が2人いる。尾崎行雄と大杉勝男だ。
 時代は1960年に入っていた。61年には米国ではJ・F・ケネディが42歳で大統領に就任した。その頃、日本といえば、東京五輪を3年後に控えて、池田勇人内閣が所得倍増計画を掲げて登場した。
 そんな時代にスイセイの如く現れた“怪童”尾崎行雄――ある世代の人々にとっては特別な存在だ。
「速いだけではない。ボールが重い。あんな投手は他にいない」と、対戦したパ・リーグの強打者は、こう口を揃えたものだった。当時のパリーグを代表する強打者、中西太(西鉄)山内和弘(大毎)をして「かすりもしない」と言わしめたほどだった、という。
 尾崎は1960年大阪の強豪校・浪商(現・大体大浪商)に入学。1年生からエースとして活躍した。そして61年の夏。2年生エース尾崎を擁する浪商は全国制覇を果たし、尾崎の名前は全国に響き渡った。
 その後、尾崎は浪商を2年で中退してプロ入りするのだが、尾崎が1年の時すでに熱い視線を送っていた男がいた。東映フライヤーズのスカウト・水野健その人だ。
 それは浪商が高松市に、練習試合に来たときのことだった。高松商を相手に20個の三振をとった、うなるようなボールを投げる尾崎を目の当たりにする。
 水野は「すごい投手がいる」と、水原に報告すると「必ず獲れ」の至上命令だ。ここから尾崎を獲得するための水野の根回しが始まった。
 両親はもちろん、浪商の竹内監督をはじめとする関係者に日参、ついに契約金1000万円で契約した。尾崎がまだ甲子園出場前のことで、これが後で大問題に発展する。
 それは、先に触れた61年夏の甲子園、浪商の優勝だ。優勝投手になった尾崎の元には、プロ球団のスカウトが殺到した。巨人の沢田スカウト、阪急・藤井、大毎・青木スカウトは5000万円の契約金を提示、阪急などは現金を持ってきたという。
 しかし尾崎は、すでに水野の“画策”によって、東映と契約していた。その事実を大映のオーナー・永田雅一(永田ラッパで有名)の知るところになったから大騒ぎだ(大毎オリオンズは大映と毎日新聞が持つ。大毎の青木スカウトも尾崎の入団交渉を活発に展開していた)。朝日新聞は青くなった。なにしろ高校野球の主催者だ。
 ここで水野は「すでにみんな鬼籍に入ったのだから」として、尾崎入団に関する取っておきの“秘話”を打ち明ける。
 このままでは“違反契約”が明るみになり、浪商の甲子園優勝が取り消しという大スキャンダルになる。
 この“不祥事”を何とか切り抜けなければ、と水野が動いた。
 中沢不二夫パリーグ会長、高野連の佐伯達夫(当時の副会長で佐伯天皇と呼ばれた)をはじめ、永田雅一、朝日新聞の松井運動部長(水野の早大先輩)の元に走り、なんとか「契約取り消し」という形で、話をつけてもらったのだった。
 次は尾崎本人の説得だ。キーマンは尾崎の両親が全権を預けていた倉本だった。倉本は当時、大阪府警の警察官で尾崎の両親は信頼していた男だった。
 水野は大阪に飛び倉本に相談後、一緒に両親のところへ行き「契約はしていなかった」と言うようにお願いした。尾崎家はこれを承諾。ことはなんとか穏便な方向に向かい、一連の“尾崎騒動”は、関係者以外知ることなく表沙汰にならなかったのである。
 結局、東映と尾崎の契約は解消の形となり、今度は各球団入り乱れての争奪戦になったのだ。
 そんななか、尾崎は記者会見を開き「東映に行きたい。契約の話をしたい」と発表したのだ。水野は「デキレースだったが、仕方がないことだった」と述懐する。
 これで、各球団は尾崎獲得を断念、東映は改めて尾崎と契約した。だが、これによって東映は5000万円を、さらに支払うハメになってしまった。

 誰も書かなかった、ごく1部の人間しか知らない尾崎入団の裏話である。

 (つづく)

 

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