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社会 / SOCIETY

流 転 ― 水野健・波瀾万丈の半生 #1

公開日時:2014-07-31

 

流 転 ― 水野健・波瀾万丈の半生   #1

 2014年‥年が明けた1月14日東京新橋にある第一ホテル東京プリマヴェーラの間で、ある男の「傘寿を祝う会」が開かれた。

 タレントの井上順、中條佳代子の司会で始まった催しには、各界の多くの有名人が集まっていた。

 すなわち、野球界からは東尾修、槙原寛巳、近藤昭仁。飯合肇のゴルフ界。競輪の中野浩一、さらには俳優の里見浩太朗、タレントの加藤茶、左とん平、歌手の小柳ルミ子――等々、テレビ・映画などでおなじみの顔が、この男の傘寿を祝ったのだった。

 主役のこの男の名前は水野健。

 このように各界に張り巡らせた人脈があるのに、この名前、一般には意外と知られていない。

 時計の針を約25年前に戻す。ときはバブル絶頂期。実体経済から乖離して資産価格が異常に高騰した時代だ。

 とくに土地は必ず値上がりをするという神話を産み、東京都の山手線の内側の土地価格で、アメリカ全土が買える、と言われるほど高騰した。

 このバブル景気に引っ張られる形に、日経平均株価は平成元年の大納会には、史上最高値38957円を付けた。

 また、この時期には土地、株式のほかゴルフ会員権や絵画などの売買も過熱する社会現象が起き、多くの“バブル紳士”が誕生した。

 もとより、こんな“狂気の経済”が永久に続くわけがない。案の定、バブルの崩壊だ(92年)。

 バブルの夢の末路――残ったのは虫食い状態の空き地というバブルの爪痕と死屍累々としたバブル紳士だった。

 その中の1人に、先の水野健の姿があった。

 バブルの真っ只中の91年、茨城カントリークラブで52000人の会員を募集し、1200億円を集めたとされた水野は、翌92年144億円の所得を隠匿したと法人税法違反で逮捕。懲役10年、罰金7億円の実刑判決を言い渡されたのだった。

 9年間の裁判、その後の8年の拘束、水野健65才から72才の空白期間だ。

 軍靴の音が鳴り響く昭和9年に生を受け、バブル時代を猛烈な勢いで階段を駆け上がり、ついに塀の中に落ちた水野健――。

 実に波瀾万丈の80年間だった。そして、その雌伏の時代を経た冒頭の「傘寿を祝う会」のシーンだ。

 一般の人々からは、すでに忘却の彼方に消え去った男だが、いちジャーナリストとしては、まことに興味が引かれる男だ。そこで齢80歳を迎えたのを期に、水野健の半生を振り返る取材を始めた。

 社会復帰して8年、決してマスコミの前に登場しなかった水野本人も、重い口を開き訥々と語ってくれた。

 そこには、世間一般に伝えられていた“水野像”とは違った「実像」があり、素顔の水野健が浮き彫りにされてくる――。    [文中敬称略]


■運命に翻弄された少年時代

 水野は軍国主義時代の真っ只中の昭和9年に生まれた。生誕の地は栃木県宇都宮市小幡町。父親は陸軍の軍人で、当時、小幡町には宇都宮連隊があり、その官舎で生を受けたのだった。
 生誕の日は1月1日だ。その前年の12月25日に今上天皇が誕生、その後1週間以内に生まれた子どもには、缶に入ったシッカロールが配られたという。
 シッカロール――通称・天花粉である。あせも予防の撒布薬で今日のように医薬品が、山ほどある時代ではない。当時、赤ん坊のいる家庭では必携品だった。時代が偲ばれるエピソードである。

(つづく)

 

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